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ただではもらえないおこづかい(2006年6月20日) おこづかいと言えば、「毎月ただでもらえるもの」と感じる方が多いと思われます。かく言うわたしも、毎月ただでもらってきました。 しかし、社会出て仕事をすると、(当たり前ですが)誰もがただではお金はもらえません。働く必要があります。働いて、その対価としてお金をもらえるのです。 ですので、おこづかいのあげ方で、こういったやり方が出来ないだろうか、という考えがございます。 それは、 「お手伝いをすれば、おこづかいをあげる」というやり方です。 さらに、お手伝いの大変さ、複雑さによっても、おこづかいの金額が変わります。例えば、小学生になるくらいには、ご飯を食べる前に食器を用意したり、ご飯を食べた後に、食器を台所に片付けたりすることはできるかも知れません。そのお手伝いを毎日行って、月100円。 学年が進んで、4年生くらいでは、お風呂掃除ができるかも知れません。それを3日に1回くらい行って、月500円。 中学生くらいでは、食器洗いなども加えます。高校生くらいでは、家族のお弁当を作ったりしてもいいかも知れません。 年齢が増せば、使いたいお金の額も増えますが、一方で、家でできるお手伝いの量も増やせますし、高度なお手伝いができます。お手伝いの量や質が上がれば、おこづかいも上げます。そうすると、欲しい物が多くて、「もっとおこづかい欲しい」と思ったら、「もっと手伝いたい。」という考えになるかも知れません。 仕事は、「人のためにになること」をして、その感謝の印として、お金をもらいます。お手伝いも同じです。家族の中であっても、「人のためになること」をします。その感謝の印として、おこづかいをあげても良いのではないでしょうか。 高校生や大学生くらいでは、バイトもできますので、家のおこづかいだけでは足りないと思ったら、バイトをすればいいのです。子どもの頃から、「お金は仕事をしてもらう」というルールがしみついているので、バイトをすることにも抵抗は少ないかも知れません。 「ただでおこづかいがもらえる」という気持ちが、ずっと残っているために、大人になっても、働くことに強い抵抗が生まれるのではないかと、わたしは感じます。また、「楽してもうけたい」といった気持ちがでて、すぐに仕事が嫌になったり、株などでもうけることばかりを夢見るようになるかも知れません。 そもそも、戦前はおこづかいなどという制度はなかったようです。戦後直後に、「働いたらおこづかいをあげる」という (今回のコラムのような)習慣が始まり、高度経済成長のころより裕福さが増して、「ただでおこづかいをあげる」やり方に変わっていったと思われます。 しかし、裕福さは、未来永劫続くわけではありません。中国が巨大な消費国となり、日本の消費を細くさせられる時代は、今の子どもたちが大人になる頃にはやって来るかも知れません。 そんなときに、だれが「ただで」生かしてくれるのでしょう。 そもそも生き物は、努力なしでは生きていけないのです。人もまた同じです。お金=生きる糧、ならば、努力して手に入れることが当たり前になる必要があると感じます。 「性とお金」は教育から遠ざけられて来ました。お金と生活を切り離して育てるのではなく、いっそうのこと、お金を生活に関係させて育てていくほうが、社会に出ても、仕事をやっていこうという強い気持ちが生まれるのではないでしょうか。
ただではもらえないおこづかい(2006年6月20日)