学力上位の国フィンランドの教育
(2010年6月7日)
PISAという学習到達度調査で上位となったフィンランドの教育事情について、以前にフィンランドセンター所長のヘイッキ・マキパーさんの講演で聞いた内容をご紹介致します。
そのお話には、耳を疑うような驚きもあり、フィンランドの国をあげての教育への熱意さを感じました。
--フィンランドの教育は全て無料--
フィンランドの教育について、まず最もご紹介したい内容は、
「フィンランドでは、(日本で言う)小学校から大学までの学費が全くかからない」
ということです。
教科書や教材費はもちろんのこと、給食や文房具までが無料とのことです。また、公立学校だけではなく、私立学校であっても、無料になっているようなのです。
これにより、親の経済力に関わらず、子どもは、自分の意思さえあれば、無料で大学まで通うことができます。「機会の平等」「教育の平等」とは、まさにこのことなのかも知れません。
ただ、忘れてはならないことは、無料の行政サービスがあるということは、それだけ税金を払う必要がある、ということです。日本では消費税は5%ですが、フィンランドでは20%にもなるようです。それだけの覚悟をもたないと、教育費の無料を求めることはできない、ということなのかも知れません。
また、「教育の平等」の取り組みとして、
・入学試験がない
・学力ランキングをつけない
・男女の区別がない(男子校や女子校がない)
・母国語の区別がない
などがあります。
「入学試験がない」というのは、よく知られているようにアメリカと同じですね。日本では、教育改革の話を色々と聞いても、入学試験の撤廃を聞いたことはほとんどありません。(一発芸など特殊な試験は多いのですが)入学試験がないということは、逆に卒業試験を求めることになるので、その辺りへの制度改革が難しいということなのでしょうか。
2番目の「ランキングをつけない」というのは、最近日本で取り入れられた絶対評価が近いと思われます。絶対評価じたいは、良い取り組みだと思うのですが、「評価があいまい」などの保護者の不満も聞きます。そういった不満は、全体改革ではなく、制度を部分的に取り入れた結果から生じたものなのかも知れません。
マキパーさんいわく、テストによる競争は、テストのための教育をどれだけ受けたか、という状況を生み出し、その教育費用を親がどれだけ出したか(どれだけ経済力を持つか)によってしまう、とのことです。
日本について、マキパーさんがどれだけご存知かはわかりませんが、まさに今の日本の教育問題の一つ、「教育格差=経済格差」になりつつある現状を的確に指摘された言葉でした。
--フィンランドにおける子どもの権利と義務--
さらに、マキパーさんは、「子どもには権利と義務がある」ともお話していました。(当然、権利の方が多いのですが、とも)
権利とは、
・教育を受ける
・学校を選ぶ
・安全を守られる
・医療費が無料
・小学校入学前の教育を受ける
です。特に医療費が無料というのは、大きいですね。東京のある区では、同じく医療費を無料にした、と聞いたことがあります。子どもにとっての心配事は、教育だけではなく、病気や怪我についても同じです。誰しも、病気や怪我にはなって欲しくないと願っていますが、そうなってしまったときに、無料の保障があれば、余計な不安が無くすことができていいですね。また、経済力の不安から、子どもを作らない若い夫婦にとっても、子どもの医療費無料は、子育てへの意欲につながるのでは、と思います。
義務は、
・学校に行くこと
・教育を完了すること
・規律に従うこと
です。特に、規律を守るためには、教員の指導スキルが求められるとも話していました。
--フィンランドの教員--
教師は、教育学における修士号を取得する必要がある、とお話していました。ただ、学士号の場合もあるとのことですので、どこまでの条件なのかは定かではありません。しかし、日本の教員は学士号を持つ人がほとんどなので、平均的な「教育を受けたレベル」としては差があるとも言えます。
また、教育のおける訓練を毎年1回1ヶ月間受けるようです。訓練によって、生徒の精神状況などを学び、指導のスキルを向上させていきます。
ただ、そういった努力への一つの報酬のようなものとして、今の日本とは違った一面があります。
それは、
保護者も含めた世間一般は、教育者に対して、尊敬の念を抱いている
ということです。日本では、どうなのでしょう。
教員を疑ったり、攻めたりと、「尊敬」という言葉が伺える面をあまり感じられません。こういったことも、一つの教育の問題として挙げられるのだと感じます。
--その他の特徴--
フィンランドでは、小中一貫が基本となっています。その理由は、とても明快で、「年齢の低い生徒は年齢の高い生徒を手本とし、年齢の高い生徒は年齢の低い生徒の手本となるよう努力する」ためだそうです。
中学2年生くらいが、反抗期の入り始めが多いとと思われますが、そのときに自分より、とても小さな小学1年生くらいの子が同じ学校にいれば、あまりおかしなことはしないのかも知れません。
また、カリキュラムについてですが、フィンランドの公用語はスウェーデン語とフィンランド語の2つとなり、小学3年生で英語を学び、5年生で、フランス語、ドイツ語、スペイン語を学ぶとのことです。さらに、語学に力を入れる学校では、ロシア語も学ぶようです。
英語で四苦八苦する日本とは、この点だけでも大きな違いがありますね。当然とも言えますが、マキパーさんは講演では、英語を話されていました。日本でも、英語だけではなく、お隣の中国語や韓国語などを、小中の間に学ぶことも必要なのでは、とも思えてきます。
--日本への提案--
最後に、日本の教育者への提案として、3つほど話されていました。
一つは、毎週1回でも、保護者と教師とで、コミュニケーションを取ること。
二つ目は、生徒が学校を好きだと思える環境を作ること。
三つ目は、教師は自分自身を大切にしながら、新しい考え方や方法を学んでいくこと。
特に、一つ目はすぐにでも実行でき、しかも、とても大切なことだと感じます。
フィンランドは、今の教育制度になるまでに、様々な困難があったようです。そして、1995年に教育費を上げることが時の首相によって、提案され、政府に認められました。
ただ、そういった政治面での出来事以上に、今の教育制度を作り上げた一番の立役者は、教員や保護者達ではないかと、わたしは思います。現に、行政が制度を設定したのではなく、地元の教員や保護者からの提案が下となったようです。
日本でも、教育改革には、文部科学省や政府が主導して行うのではなく、教育について真に考える教育者や保護者の手によって行われるべきだと思います。そのためには、まず、教育者と保護者が手を取り合い、互いに信頼していくことが第一歩となると思います。
まさに、
「教育の市民改革」
「市民による 市民のための教育」
といったところでしょうか。
そのさきがけとなる学校、自治体が、今後とも多く出てくることを節に祈ります。
コメントありがとうございます!教育関係者、国会議員らにも読んでほしいですね。
フィンランドが素晴らしく思えてしまいます。
日本しか知らないと、それが、固有の文化だとしても世界的に普遍的なモノと錯覚してしまいます。
(あきら大すきさん 2010年6月9日17時52分)