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    コラム

    お小遣い制は当たり前なのだろうか?
    (2011年1月31日)

    ある時ふとお小遣い制に疑問を持ち始めたのは、団塊の世代である母の話を聞いてからです。



    母の子どもの頃は、お小遣いというものは無く、ピーナッツなどの殻を剥いたりする家の手伝いをすると、わずかなお金をもらっていたそうです。



    そういうことを経て、将来しっかり働いてお金を稼ぎたいという気持ちになったそうです。



    一方で、現代ではニートのような「働きたくない」若者の問題があります。



    今は不況によって職が少なくなったので、「働きたくない」若者より「働けない」若者に焦点が当たっていますが、「働きたくない」若者はまだまだいると思います。



    「働きたくない」という気持ちになるのは、様々な理由があると思いますが、お小遣いのような「何もせずに定期的にお金をもらう」という状況を子どもの頃からずっと続けていることも、一つの理由になるのではないかと感じました。



    子どもの頃から習慣というのは、大人になっても染み付くものです。「親には定期的にお金をもらえる」そんな気持ちが宿ってしまっていれば、それが「働きたくない」気持ちを膨らませる温床になっているかも知れません。



    そこで思い付くことは、母のようにお手伝いをするとお金がもらえる、ということですが、現代っ子にはこれはこれで心配されることがあります。それは、「お金をもらうから手伝う」という気持ちから「お金をくれなきゃ手伝わない」という気持ちになってしまうことです。



    それはそれで悲しいことです。お手伝いをすることは、家族の一員として当たり前なことです。出来ることをやって、親から褒めてもらう、その喜びが人に役立つ気持ちを育たせます。



    思い切って、お小遣いを与えないという考えもあります。誕生日などでプレゼントはするけど、お金そのものを与えることはしない、ということです。



    これは悪いことではないと思います。現代の日本のような物的に充足した時代だからこそ、お金への執着を持たせないことは、意味があると思います。



    今は廃刊となった日経キッズには、「お小遣いを与えているか」というアンケートに対して7割が「与えている」という回答結果が掲載されていました。



    与えていない派が小数派ですので、「友だちみんなはお小遣いをもらっているのに…」そんな攻撃が来るかも知れないので、しっかりした考えを持つ必要がありますね。



    いずれにしても、「お小遣い(=お金)を与えること」に親としての考えを持つ必要は、あるのではないかと思いました。






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